新見隆さんについて

新見隆さんはこんな人

大分県立美術館 OPAM館長 新見 隆 Ryu NIIMI
1958年 広島県生まれ
慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業
82年から99年まで、西武美術館・セゾン美術館に勤務
99年から、武蔵野美術大学芸術文化学科教授
イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問
慶應義塾大学アート・センター訪問所員
アート・ビオトープ那須、二期リゾート文化顧問
2013年から、公益財団法人大分県芸術文化スポーツ振興財団理事兼美術館長


シューベルトの連弾~シューベルティアーデ

 こうして、東京郊外のサナトリウムの森の一角に、久しぶりに戻って、女房と娘の顔を久しぶりに見ながら、お互い、子供の頃に返ったような、懐かしさ温かさを感じて、ソファに寝転がって、シューベルトのピアノを聴く。
 井上直幸と竹内啓子による、あまり知られていない、連弾曲だ。
 若い頃から、彼のドビュッシーを愛聴した井上直幸だが、帰らぬ人となった。
 シューベルトの連弾は、もの哀しい曲が多い。その哀しさは、けっして身を裂くような激しいものではないが、そこはかとない、生の淡い揺曳を想わせて、忘れがたい。
 幼い頃から病弱だったシューベルトは、つねに死の予感とともにあった訳だが、そのライナー・ノートには、たしか、彼が多くの連弾曲を残したのには、「ある種の、共生、小さな共同体への憧れがあった」と書いてあって、ドキリと胸を打たれた覚えがあるのも、ふと思い出した。よく知られているように、身体が弱かったためか、シューベルトは、大勢の観客を相手にした大演奏を容易には行えず、そのために、親しい友人たちが、彼のために集って、シューベルティアーデという会を定期的に持った、という。かの黄金の世紀末画家、クリムトの若い頃に、この会でピアノ弾くシューベルトを描いた小品がある。
 小さな部屋のようだが、温かい、不思議な光が、鍵盤を前にしたシューベルトを照らしている。それは、いっしゅ、聖なる光、と言っていいものだ。
 たぶん、私ども、大分の中心で、文化の拠点、カモシカ書店を立ちあげた岩尾晋作君も、竹田の町おこしを積極的に推進する西田稔彦君も、彼らを強力にサポートする、日田のプロデューサーの江副直樹さんも、そういう、小さな、そして温かい、じんわりと銘々の心を照らす光、そういう共同体を、目指しているのだと思う。


第1回たびするシューレin竹田の寄稿より。

たびするシューレ顧問

大分県立美術館 OPAM館長 新見 隆