第1回たびするシューレin竹田 ゲスト:書家 草刈淳

たびするシューレとは、OPAM新見隆とカモシカ書店岩尾晋作が大分国民文化祭が来年度開催される大分県内の各市町村を回りながら、街の人に出会い、語り、学ぶ場を作るたびする学校です。
第1回は、大分県竹田市で開催されました。
竹田市は来年度の国民文化祭で、耕す里のエリアとして様々な文化事業が行われる予定です。
会場は、今年、大分県竹田市にオープンした竹田駅前ゲストハウスCue

ゲストハウスcueぜひ泊まっていただきたい素敵なゲストハウスです。
1階にあるかどぱんスペースで薄い明かりの中静かにはじまりました。
新見さんからも今回のたびするシューレについて経緯の紹介がありました。
竹田市外からも多くの方に参加いただきました。
【プログラム】
◎新見さんによるレクチャー
エクスタシー!芸術の根源とは?
◎カモシカ書店岩尾さん、竹田のゲスト書家草刈淳さんによるトーク
その後、かどぱんの臼田ご夫妻による食事を楽しみながら懇親会。

竹田のゲスト 草刈淳さんについて
草刈淳
1967年大分県竹田市生まれ、在住。
草刈工房代表・古モノ、三桁代表・大分県美術協会書道部会 委嘱会員・豊肥支部 副支部長
豊後南画家の故草刈樵谷を祖父に持ち、幼少より墨の在る環境にて育つ。
21歳で中央の書道会に所属し後に審査会員として活動するが、十数年前、一切の所属 を・退会、辞退し地元である「竹田市」に帰省し書道研究会「樵峰書研」を立ち上げ現在に至る。
同時期に趣味が高じて古道具の店「三桁 (mitsuketa)」をopenし数多くの古物を扱うが、様々な縁により空間のリノベーション、設えの仕事も行うようになる。
竹田市農村回帰サイトインタビュー

カモシカ書店 岩尾さんの寄稿より
隠れキリシタンの礼拝堂があり、滝廉太郎が「荒城の月」の霊感を受けた岡城を有し、現代も石畳や武家屋敷を残す幽玄とますらおぶりの城下町、竹田。古都の趣に加え、近年は現代的なセンスで最新の図書館やアートレジデンスを作り、県内で明らかに異彩を放っている革命の町だ。
僕の暮らす大分市内から竹田のセントラルシティまでは車で1時間。
たびするシューレの初開催を目前にして、不安の奥底にある期待と希望が表情ににじみ出たみたいに、雲の端を赤く染める夕日を見ながら、車は順調に進んだ。
今回のシューレの会場で使わせてもらったのは竹田駅前に野心と自信を持って新しく立ち上げられたゲストハウス「たけた駅前ホステルcue」だ。
僕はゲストハウスが好きで、日本でも外国でもいくつも泊まったが、古民家を大胆にリノベーションした「cue」の建物、内装の力強さ、洗練さには度肝を抜かれた。古民家らしい堂々とした梁が天井に架かり、エントランスにパン屋「かどぱん」を据え、普段はそこで食事ができるほど贅沢に広い。入口に佇む木製フィギュアは竹田を拠点にするアートユニット「オレクトロニカ」による作品で、番人というよりも瀟洒なドアマンといったところだろうか。
こんな気持ちの良いゲストハウスは他にはちょっとない。日本随一といっても全く過言ではないゲストハウスがある大分県に、今後の未来を感じずにはいられなかった。
そのようにしてすぐにここが竹田の中心、いわば革命の伽藍であると確信できたが、正直にいうと、一番に思ったことは、こういうゲストハウスが大分市中心部に欲しい、こんな要塞を持つことができたらどんなに自分の町を盛り上げることができるだろうという、嫉妬にも近い、羨望だった。
とにかく、こんな会場を選んでくれた、たびするシューレのプロデューサー、西田稔彦さんの町を見抜く慧眼に唸った。
ゲストハウスを切り盛りする堀場貴雄・さくら夫妻と、先述したゲストハウス内にあるパン屋さん「かどぱん」の臼田朗さんがイベントの準備をしてくれている。
ひとり、またひとりと会場入りする参加者(ともに学ぶシューレの学生)は徐々に会場を熱気で満たしていった。オランダから竹田に滞在しているアーティスト、ジョン・ニールランドさんも来てくれ、このような集まりは素晴らしいと絶賛してくれた。この小ぶりな城下町に、オランダ人の画家がふらりとやってくるところが、竹田の懐の深さと新奇性だと舌を巻いた。
30人ほどの参加者は竹田にとどまらず県内方々から集まってくださっていた。竹田出身で現在は千葉の大学で教える歌人の川野里子さん、日田在住のデザイナーで大阪の大学で教鞭も執る江副直樹さん、江副さんの元で学ぶエディター川島克さん、関東から国東に移住して作陶を続ける垣野勝司さん、など大分の未来をそれぞれに創造する方々だ。
みんなの熱気が会場に満ち、僕たちは今夜、竹田の湯たんぽみたいだなどと考えていた。
そしていよいよ、たびするシューレの幕が切って落とされた。
 プロデューサーの西田さんから開会のあいさつと「たびするシューレ」発足の経緯が手短に紹介される。大分県立美術館(OPAM)の新見館長と西田さんの対話から始まったこの企画は江副さんの助力を得て、開催の運びとなったのだ。本当に、いろんな人のおかげで僕たちは今日、このステージにいるということへの、有難さ、を改めて噛み締めた瞬間だった。
そして我らが大分県立美術館OPAMの新見隆館長のレクチャーが始まる。新見先生はカモシカ書店で何度もレクチャーをしてくれているが、そのどれもが人間の本質を射抜き、同時に人間と芸術への大きな信頼と愛に満ちた言葉で組み立てられ、僕はいつも驚嘆する。その感動を大分県民全てで共有したいというのが「たびするシューレ」を運営する上で私の重要なモチベーションともなっている。
新見先生の言葉は、たしかに、我々の「明日」を照らす一条の光になると信じている。
今夜の題目は「エクスタシー! アートの根源とは何か。石内都とスティーブン・コーエン」。
風変わりな衣装の上からさらにシャンデリアを纏い、踊りを舞うダンサーの写真が「cue」の壁面にプロジェクターで照射される。その異様なイリュージョンによって会場のみんなは一瞬にして美術大学の学生になったような気持ちではないだろうか。
不思議な緊張感の中、新見先生は言い放つ。
大分県立美術館 OPAM新見隆さんからの寄稿より
師走の慌ただしいさなか、ついこのあいだの今週の月曜の夜、駆けつけた、夕闇迫る竹田は、思いのほか、温かかった。それは、すでに何度か来て、見知った町となった竹田の夜に灯った小さな灯火と、それに集う人びとの、何かを待ち望む、「小さな期待」のせいだったかもしれない。
 期待は、そして望みは、小さい方がいい、と言っている訳ではない。
 それは、あたかも、シューベルトの連弾について、そのライナー・ノートの執筆者が言っていたような、意味でである。
 大好きな、というか、ほとんど若い頃から、唯一、変わらず熱狂して影響を受けたのが、世紀末ドイツの詩人リルケだが、彼の珠玉の童話に、『神さまの話』という、彼がロシアから戻って、その「神にもっとも近い人びとの暮らす地」の思い出を綴った、物語集がある。その一編に、ある女性詩人が、幼い頃に、来客を待ち望む話、その、何とも言いがたい、期待の時間の心踊るさまや、「待つことの」じたいの、魂の内側から湧いて来る温かさを、語りかけ、呼びおこそうとする場面がある。
 素敵な場所の始まり、それは美意識の共同体、ともいえる「かどぱん」を、立ちあげた臼田朗さん夫妻や、その上に、待望の現代版ユースホステル「駅前Cueキュー」を営む、堀場さくらさん夫妻を囲んだ、小さな会はそうやって始まった。


























photo by bunbo 川嶋克







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