絶望の隣に咲く花~カモシカ書店 岩尾晋作



風土とシューレ、美しいもの。

風土という言葉は日常的にしばしば使われるが、じゃあ風土とは何のことかと言われるとこれが結構難しいものだ。哲学者、和辻哲郎が著書「風土」において気候がどれほど人間の思考に影響を与えるかということを説いている。和辻は西洋や中央・南アジアと日本の風土を比肩して論じるのだが、私の体験では旅行で訪れたヨーロッパやインドと日本を比較するのはやはりやりやすい。もっと言うと長く暮らした東京と故郷大分を比較することも容易いだろう。(もちろんその差異から和辻のように人間学的考察に帰納していくのは並大抵のことではないのは言うまでもないし、後にオギュスタン・ベルクが日本論「風土の日本」を書き上げる際の礎となったのも和辻の「風土」である。)


さて、たびするシューレは大分県内を巡る移動学校である。 前回は竹田に、そして今回は佐伯に移動してきた。顧問であるOPAM新見館長の導きもあり、我々はイベントだけを運営、記憶・記録するのではなく、その土地で触れ合う全てのもの、野も花も草も、当然食にも触角を立てることも、ミッションに含まれている。 県内で、現行の自治体制度に従い市町村単位で線を引いてそれぞれの「風土」を見出そうというのは、ある意味で教科書的な、ステレオタイプな印象論に終始する危険がどうしてもある。竹田は岡城の城下町で、佐伯は港町で人口何万人で、大分県は歴史的に小藩分立でうんぬん、などという情報から何かを感じ取ったと自分に言い聞かせ、こじつけるのは簡単だからだ。 


先に言っておくと私が「風土」とはどういうものかと考えているかというと、それは「いま、ここにしかないもの」、その積み重ねでしかありえない、ということだ。そして「いま、ここにしかない」という「いま」を感じるのは自分の五感以外に絶対にありえない。 そもそも我々は原則的に居住の自由があり、基本はいつだってどこにでも引っ越していき住むことができる。じゃあみんなほうぼうすきずきに勝手に引っ越していっているかというとほとんどの場合そうではない。それはみんなそれぞれに事情があるからだ。ただし仕事の関係で、とかそういう話ではない(仕事の事情は、単に仕事上定められるところに定住しているので、場所は変わっても、ある意味一つ所に住んでいるのである)。私は人がどこかに住んでいるということを考えるときいつも柳田邦男の「遠野物語」のことを思い出す。「遠野物語」に1896年の三陸大津波の悲劇について語られている部分があるのだが、そこは2011年の東日本大震災の大津波の被害が大きかった岩手県船越半島の山田町である。(*1) 人は自分で思うほど合理的に、便宜的に、住む場所を選びはしないのではないか。私自身、大分市中央町が好きで好きでたまらなくて、数あるメニューから選びとったように住んでいるわけでは決してないはずだ。何かがあるから、こういう理由だから、故郷だから、こういう柵(しがらみ)のせいで、などと語ることは簡単なのかもしれないがどれもなんだか自分の気持ちにとって嘘っぽく響く。むしろ、そこに住むのに説明可能な理由があると人はそこに根を張ることはできないんじゃないか、新見館長の言葉に「小綺麗な手から美しいものは生まれない」という私の大好きな言葉があるが(*2)、おそらくその亜流として、「こう」だから「こう」なのだ、というような「小わかりのいい論理」には人間の真実は語れない、という真理があるのだと思う。


佐伯に話を戻そう。今回佐伯に行って「風土」というものを感じとったつもりなのでこの話をしているのだが、「佐伯は緑も海も豊かで、人間も親切で覇気があり、素晴らしいところだ」というような文脈が自分で信頼できないでいる。ベルクが言うように風土というのは個人的でありつつも同時に集合的なものであるとするなら、個人的なものは徹底して個人的であっていいのだと思う。


〇佐伯と私。OPAMとカモシカ

 東京から大分に帰ってきて5年が経とうとしている。この5年の間に私は佐伯に3度行った。最初は大分が全国に誇るべき老舗書店「根木青紅堂書店」に新規開業書店主として挨拶に伺うことが目的だった。次は佐伯出身の作家小野正嗣氏の芥川賞受賞作「九年目の祈り」を新聞で紹介させてもらうために、その作品の舞台だと推測される離島、深島に取材に行った。3度目は今話題のコーヒー屋、「coffee 5」に行くのが目的だった。その後たびするシューレのプロデューサー西田さんの紹介でcoffee5のオーナー内田豪さんと連絡を取り、今回のシューレで教室としてcoffee5を使わせて頂けることになったのである。これが私の4度目の佐伯である。 今回は「美術館の面白さ。佐伯全体をマリーンミュージアムにしよう」ということで「日本一文化的な市長に文化とは何かを訊く」のだ。それは私から見ると行政がどのように自治体の文化事業に取り組むのか、という微妙な問いと同義だった。

  ある空間を使って「ここで何か文化的なことをしよう」と言われたとする。これが相当に難しい。子どもの絵を飾るだろうか、あるいは著名な文化人を呼んで講演やワークショップを開催するだろうか。そういうのが「文化的」なことなのだろうか。 私ならカモシカ書店のような本屋をやるだろう。逆に言うとそれしかできないのだ。でもそれが「文化的」なことだと思っているかというとちょっとよくわからない。「文化的」でないこともないのかもしれないけど、少なくとも大分で「文化的なことをやろう!」と思ってカモシカ書店を始めたのではない。私はまず、自分の腕で食べていきたかった。そのうえでただ、自分のできることが、人よりもほんの少しでも得意なことが、多少なりともこの場所に必要なこととして受け入れられるだろう、そう思って始めたのだ。そして願わくばここから新しいエネルギーが生まれるような、そんな場所を作りたかったし日々作っている。 並べてしまうようで大変恐縮なのだが、新見館長も同じような気持ちではないかと実はよく思う。美術館は文化事業の目的ではなく手段である。当たり前だが美術館があれば必ずそこで文化芸術が盛り上がることになるわけではないし、下手をすると通知表のために取り組む義務教育の授業のように、美術館が大義名分を備え、一方方向に善を目指す短絡的なシステムとして機能することで創造性の芽を摘むことすらありえるだろう。 文化芸術は、美術館が担えるのはそのほんのきっかけの一部にしかすぎないし、担った一部にしても学芸員のものだけではないし、それを翻して言うと県民ひとりひとりが文化芸術を創造することを背負わなければならないし、しかも創造するための定石というような決まった方法論などひとつもありはしない。 

「たびのシューレ」で県内を駆け巡ろうと起案し、深夜の警備員さんに差し入れをし、ミュージアムショップのスタッフを連れて食事に行く。街の人ともコミュニケーションをとっていて人気者だ。そんなことは大したことではないし当たり前のことだと本人はおっしゃるかもしれないが、そうした大分と全面的に接しながら美術館を作ろうとする新見館長の言動をみて、いつも私は「見せかけ」と「真実」の違いを身を挺して語り掛けてくれているのだと勝手に感じている。 


〇佐伯全体をマリーンミュージアムにしよう。 

 そんな館長がいくつかの世界の美術館を紹介することからレクチャーは始まった。 筆頭は我らの大分県立美術館OPAM。坂茂による建築で、本当は館内に花畑を作りたかったが美術品保護や様々な制約の問題で断念。そのスペースにオランダのデザイナー、マルセル・ワンダースの≪ユーラシアン・ガーデン・スピリット≫を設置した。この作品は言ってみれば楕円形の高さ5メートルはあるバルーンで、重心が低く巨大な起き上がりこぶしのように動的に自立しているので、来館するこどもたちの好奇心に満ちた偉大なエネルギーから殴る蹴るの大歓迎を受け数点が撃沈しつつも、開館から今でもずっとエントランスに屹立している。≪ユーラシアン・ガーデン・スピリット≫はビビットでプリミティブな配色で鮮烈な花や蝶を思わせる図柄を一身に纏っている。それはマルセル・ワンダースから昔オランダが大分にリーフデ号の件でお世話になったお礼とのこと。リーフデ号の豊後国漂着が1600年であるから、実に400年を越えた粋な計らいである。ただしマルセル・ワンダースは芸術家としてただ華麗な図柄を贈ったのではない。実際にOPAMに行って少し距離をとって≪ユーラシアン・ガーデン・スピリット≫を見てほしいが、近くでは花や蝶に思えた図柄がどこか頭蓋骨のように見えてくる瞬間がある。死や荒廃、朽ちていくものを画面に忍ばせる「ヴァニタス」と呼ばれるオランダ伝統の静物画の表現方法を彷彿とさせる。我々は「死」を思い、そして自らに「生」を問う静謐な瞬間の訪れである。 同じフロアで、≪ユーラシアン・ガーデン・スピリット≫の美意識に須藤玲子が≪ユーラシアの庭「水分峠の水草」≫で蓮の花の造形を借りて東洋の美意識で返礼している。

  人類の起源を探る独自だがモンゴロイドとして他人事に思えない「ブリティッシュ・コロンビア大学 人類学博物館」。私は行ったことがないが現代美術館の王様という印象がある「ニューヨーク近代美術館MoMA」。スラムのような荒廃地域を創造的に復興させた「ロンドン テート・モダン」。人類の悲劇を未来のために記憶に留めるための「ワシントン ホロコースト記念博物館」。ニューヨークの大都市の中にある世紀末ウィーン美術専門の「ノイエ・ギャラリー」。北欧ならではの手仕事を感じる「デンマーク王立美術工芸博物館」。堅牢な駅舎の骨格を再活用した「ハンブルグ駅舎国立現代美術館」。産業奨励館の発展形として日本に唯一のファッション専門美術館となった「神戸ファッション美術館」。 話とスライドはこのように続き興味が尽きなかった。どの美術館も美術品を展示補完するための箱という機能以前に、過去や未来と、そしてそれぞれの地と、密接に繋がって存在していることがわかる。どの美術館も、そこに行くためだけに旅行したくなるだろう。そして何より、どの美術館も面白い学芸員や館長がいて、それぞれが作品を創造するように美術館を運営しているのが、美術館のまわりの街並みの美しさや活力が、私にはありありと想像できる。

  さあ、それでは、佐伯全体をマリーンミュージアム化計画は如何にして可能なのか。

  そこで館長が持ち出したのは「ごまだし」である。佐伯までの往路の途中に館長と訪ねた「味愉嬉食堂」(みゆきしょくどう)にごまだしうどんは誠に見事で、私はすぐに替玉をした。そのおいしさは筆舌に尽くしがたく、ただただごまだしうどんとともにあるこの時空が少しでも永くあることを祈り、また自分の胃袋の体積の凡庸なことを悔やんだものだ。 恥ずかしい話だが、わたしはこれほどまでにおいしい「ごまだし」というものを今まで知らなったに等しい。最後に食べたのはいつなのかもう記憶にないし、少なくとも30歳で大分に帰ってきたから一度も食していない。これまで大分を代表する郷土料理としても挙げることはなかった。だからこれからはこの感動をたくさんの人に伝えたいと思っている。

  詳しくは館長の報告記にあるのでここで重複することは避けるが、「ごまだし」→「原料のエソの鱗(うろこ)」→「三角、テトラ構造」→「バックミンスターフラーのジオデシック・ドーム」→「イサム・ノグチのオクテトラ」という驚くべき話の展開となったのである。 

 佐伯市立オクテトラマリーンミュージアム構想がここに立ち上がった。これが立ち上がったら私が館長をやりたい、館長のレクチャーのクライマックスはそのように結ばれ、40人を超える満席の会場のすっかり熱く盛り上がった。それを受けて今回のゲスト、田中利明現市長がにんまりと、立ち上がったのだ。 


〇驚異の市長、田中利明。サタン文化と極楽浄土。

  田中利明市長は30歳の時から政治一本でやってきたらしい。なるほど、はきはきと率直に喋る勢いが心地よく、次々と語られる理念に誰もが関心を持つだろうから、政治家というものにほとんど接したことのない私にも、この方は政治家向きなのだろうとすぐに納得した。

  ご登壇されて10分も経っただろうか。私はどんどんと、この方の魅力は「政治家をするに当たって人間的に非常に印象深い」どころのものではないことを思い知っていった。 どのように表現すればいいだろうか。私はいまだにそのときの驚きの中にいるのでうまく把捉できていないのかもしれないが、つまり、語り口が極めてダイレクトなだけではなく、語られる世界観の重量が、ものすごいのだ。これはちょっと尋常ではない。

  田中市長は今後の佐伯の文化事業として市民による「こどもミュージカル」やエコール・ド・パリの作品が蒐集された「南海コレクション」の展示をおおいた国民文化祭のひとつの企画として考えていることなど具体的な企画も次々と出てきて目を見張るものがあるが、それらを運営するいわば心臓部、市長としてどういう世界を実現しようとしているかについて語るときが白眉であった。

  私なりに市長に肖り、かつ敬意を賞するために、誤解を恐れずに正直に書こう。市長の言葉でいうと、市長はつまり、サタン文化に堕することなく、佐伯を極楽浄土にすることを夢に描いていらっしゃった。そのために、芸術文化の力で自らと市民の「気」を高めるのだと。我々が佐伯から見上げているのは世界などという小さなものではなく、宇宙なのだと。

  「気」を高めるとは何のことか戸惑い質問させてもらうと、「気」を高めることで人としての次元も上がり、後光が差すようになるだと説明をしてくださった。 はっきり断っておくと、ご自身でも説明されていたように田中市長は特定の宗教の信仰があるのではない。サタン文化とは、物質的に利己的な人間の在り方のことで、「気」を高めるとは利己心から離れて生きていけるようになることだろう。それは多くの人が理想とする状態で、私も理想と現実の間で苦悩しているので市長の「気」の話には全面的に賛同できる。市長の理念の強さが、世界観の説明のために神話や宗教の語彙を必要としたに過ぎない。

  芸術文化政策に関しては、私はそのとき反射的に、考え込んでしまった。芸術文化はいつも必ず人間精神を高めるというわけではない、ということももちろんだが、それ以前に芸術文化に対して、何であれ目的を持って近づいたり取り扱ったりするときに、芸術文化が本来持つほとんどの力が、逃げて行ってしまうからだ。それはちょうど人の持つやさしさに似ていて、何の目的もなく差しだし、また、差しだされたいものではないだろうか。芸術はほとんど何の役にも立たない。だからこそ四方を埋め固めた絶望を易々とすり抜けて、その中の打ちひしがれた人の心に届くのだ。その人を救うかどうかはわからない、届いた後はその人だけの問題だ。

  言うまでもないが色んな考え方があるし答えはない。田中市長も私が考えたことなど当然ご承知の上で乗り越えて、しかしなお、敢えてそのように語る必要がある、という覚悟の表れなのかもしれない。たしかに、その個性的な言い回しで、つまりは人間精神を研ぎ澄まして世界をよくしていきたいこと、そのためにご自身でできる任務として、全てを賭して政務に取り組み、佐伯の未来を背負うという情熱の魂が語られていた。それは、私だけではなく会場の全ての人の心臓を射抜いたはずだ。 


 それから数日の間、ずっと考えていたのだが、シベリア抑留から帰還した詩人、石原吉郎のこんな詩を思い出してから私なりに腑に落ちた。 「花であることでしか 拮抗できない外部というものが なければならぬ 花へおしかぶさる重みを 花のかたちのまま おしかえす そのとき花であることは もはや ひとつの宣言である ひとつの花でしか あり得ぬ日々をこえて 花でしかついにあり得ぬために 花の周辺は適確にめざめ 花の輪郭は 鋼鉄のようでなければならぬ」(*3)

  田中市長も、新見館長も、恐縮だが私も、それぞれに拮抗している外部は同じものではないだろうか。外部は「サタン文化」と呼ばれることもあるし、「見せかけ」とよばれることもあるし、「思考停止」と呼ばれることもあるだろう。外部の正体が何であるかということよりも、そのようにしか存在することができないそれぞれの「花」のほうに私の関心は向く。 そしてそれぞれの「花の輪郭」が「鋼鉄のようで」なければならないことにも。 


〇すでにある佐伯マリーンミュージアム 

 田中市長のインタビューが終わると、佐伯のフレンチシェフ、ムッシュカワノさんが用意してくれた色とりどりのタルトを囲んで懇親会が開かれた。懇親会についてはここには書かない(書けない)。宴とは参加することが全てだからだ。

  佐伯に泊まった私は翌日、再び「味愉嬉食堂」を訪れごまだしうどんを食べた。 

 そのとき「味愉嬉食堂」の店主がごまだしの起源とおおいたの歴史について教えてくれたのだが、忘れられないのは、「エソを擦っていると、同じように作っていた海洋民族の祖先の心と自分が繋がってその時代の光景が見えてくる」という発言だ。  それは私には分かるような分からないような話ではあったが、理解とは関係なく、人間の創造性の神秘に触れたのは確かだった。

  田中市長も、「味愉嬉食堂」の店主も、海洋民族という言葉を使っていた。叙事詩的な響きを持つこの言葉は、私にとって佐伯を包み込む一つの巨大な想念のようなものとなった。私の見た佐伯は当然ごく一部に過ぎず、その全貌は謎のままで、その謎を見下ろす巨人みたいに海洋民族が直立している。

  「味愉嬉食堂」のすぐそばに「根木青紅堂書店」があって、すぐそばに古本屋さんもある。私は大分市よりも田舎には住めない、と冗談交じりにうそぶくことがあるのだが、この街並みとごまだしと、海洋民族の謎があるのならば、正直に言って佐伯には住んでみたいと思った。もちろん佐伯市立オクテトラ極楽ミュージアムができたら、最高なのは言うまでもない。

  佐伯市内から参加をしてくれた30名を越える方々、ご来場ありがとうございました。佐伯市外から参加してくださった方々、ご来場ありがとうございました。懇親会に参加できなかった方も、またぜひゆっくりお話しさせて頂ければ幸甚です。

  会場を貸してくれたcoffee5の内田豪さん、スタッフの方々、お世話になりました。おいしいケータリング料理を作ってくれたムッシュカワノさん、ごちそうさまでした。おかげで楽しく刺激的な時間を作ることができました。

  おおいた国民文化祭広報の市川靖子さん、来てくださってありがとうございました。何か一緒に作れたら嬉しいです。ぜひまたご参加くださいませ。  江副直樹さん、川嶋克さん、いつも強力なサポートありがとうございます。  


 *1 このあたりのことはNHKの番組、「シリーズ 日本人は何を考えてきたか」の柳田邦男の回から学んだ。  
*2 武蔵野美術大学のHPで新見館長の教員紹介をぜひともご一読あれ。私は初めて読んだとき、涙が出るぐらい心が共鳴し、奮えた。 http://profile.musabi.ac.jp/page/NIIMI_Ryu.html
 *3 思潮社「現代詩文庫 石原吉郎詩集」より「花であること」 



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